[p.0601][p.0602]
嬉遊笑覧
十上/飲食
真桑瓜は、濃州真桑村の種お京師東寺辺に栽し故、夫お真桑瓜といひしが、今は一般にしか呼なり、一種皮の白めなるあり、増補江戸鹿子、本所瓜味美ならず、本田瓜といふ、形甚大なり雲々いへり、是ほんでん瓜なり、今これお銀まくは(○○○○)といふ、金まくは(○○○○)に対しての名なり、寛永発句帳に、後藤判とあるべき金まくは哉、〈貞徳〉懐子集、大和人こんと売なり白まくは、〈方好〉続山井、類ひなき佳味の梵天の真瓜かな、〈沙長〉今も肉多く肥たるおほてたると雲是なり、おもふに本田瓜は、梵天瓜なるお、本田と書、ほんだと誤れるなり、醒睡笑、和州より出るほでんと雲瓜は、延暦寺慈覚大師、天長十年四十にて身つかれ眼くらし、命久しかるまじと思ひ、叡山の北谷に草庵おむすび、三年つとめ行ひて、おわりおまたれければ、ある夜夢に、天人来りたり、これ霊薬なりとてあとふ、其形瓜に似たり半片お食す、其味蜜の如し、人ありて告るやう、これ梵天王の妙薬なりと、夢さめて口中余味あり、しかして後やせたるかたち更にすくやかに、くらきまなじります〳〵明らかなり、その半片お土にまきければ、全き瓜の生ぜしいまの梵天これなり、元亨釈書に見えたり、〈これ附会の説なり、釈書には有一人告曰、是忉利天妙薬也雲々、羸形更健、昏眸益明、於是以石墨草筆、書妙法華雲々、この以下彼の半片の瓜の事なし、そのうへ忉利天と梵天とは異なり、ほでん瓜の名によりて、かヽることお雲そへたるなり、〉瓜お六かは半にむくといふも久き事にや、五元集に、あたまから章魚になりける六皮半、