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当世武野俗談
冬瓜仁右衛門本所吉田町に御小性組御番衆兼松又四郎と申、御旗本衆の地お借りて、立派に普請おして住居し、大勢家来召仕、子分方多く有て、其土地は雲ふに不及、吉原境町すべて慰所にて、悉く人に用ひられ、名お得たる所の仁右衛門といふもの有、かれが異名お冬瓜と呼、其根元は、此者本所辺旗本屋敷の中間奉公して居たりしが、瘡毒お煩ひ、中年より骨折奉公不成して、本所三つ目通軽き御家人衆の寄合辻番の番人に入けり、此もの辻番より又々出て、少々瘡毒本復して商おしけるに、西瓜のたち売より思ひ付て、冬瓜のたち売一文づヽ、裏店住居かるき人々の、一朝の汁の実と成程づつ売ける、此たち売大にはやり、わづか成事なれども、是に利お得て、少々元手つきけり、茲お以て今とても、冬瓜仁右衛門と呼ばれて、其名高きこと甚し、