[p.0630]
塩尻
四十五
西瓜は寛永中に、肥前国に来る、寛文の頃、京田舎に種て人是お食といふ、但し我国僧義堂が空花集第一に和西瓜詩あり、其略、西瓜今見生東海 剖破含紅玉露濃此僧は後小松院の御宇の人也、然れば当時有て中絶し、近世亦来るにや、凡そ応永末より文明の以後に至り、我国未曾有の大乱ゆえ、稲麦粟粱の外、かヽる瓜の類も種る所なかりし故、絶て世に知らざりしが、今四海しづけく、唐土人の船も年々我に通商して、万新なる物お見侍る、