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嬉遊笑覧
十上/飲食
西瓜お輪ちがひなどに切ることあり、諸艶大鑑嘉祥喰する処に、西瓜お香の図に切ちらし雲々あり、又番南瓜お木魚に作ることは、天明ごろよりといへり定ならず、西瓜の灯籠、俳諧三匹猿附録、暮るとも盆の節季は月ありて、西瓜にとぼす橋の行灯、これはたち売の赤き紙の行灯なるべし、西瓜の肉おほり取て、中に火お点す事は、近きことヽ見ゆ、火光青くみゆるものなり、広東新語に似たることあり、広州時序の条、八月十五日之夕、児童燃番灯持柚火、踏歌於道、曰灑楽子灑楽、児無咋糜、塔累砕瓦、為象花塔者、其塔多、象光塔者其灯少、柚火者以紅柚皮彫鏤人物、花草中置一琉璃盞、朱光四射与素馨茉莉灯交映、蓋素馨茉莉灯、以香勝、紅柚灯以色勝、〈◯中略〉類柑子、西瓜は卅年来のはやりものにして、今は和歌所へもめしあげらるべかりしお、女房達のきらはせらるヽ方もあるにや、去来抄に、猪の鼻ぐすつかす西瓜かな、〈卯七〉正秀雲、猪なればこそ鼻はぐすつかしけん、去来雲、させることなし、此頃はいまだ上方に西瓜珍し、正秀も珍しと思より、猪の怪しみたるとは風聞出せり、予は西国生れにて、西瓜も瓜茄子の如し、曾て心ゆかず、総じて人の句お聞に、我知る場しらざる場違ひに有べしと有り、西国より漸々京に上りしなり、娘容儀に、奢り者のことお雲て、奥様の御用とて、西瓜の代三百六十五匁、新小判にて八百屋が請取て雲々あり、大に行はれたる也、