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倭訓栞
前編七/幾
きく〈◯中略〉 菊はもとくヽとよめり、菊(くヽ)理姫菊(くヽ)池郡など是也、新撰字鏡、和名抄に、和名おも載たれど、歌には音おもてよめり、〈◯中略〉菊花の弟と称するは、梅お花の兄と称するに対へていふ也、菊は万花に後るヽものゆえに、わけて残花おも賞するなり、残菊の名は、東坡詩に本けり、重陽お過ての名なるよし、菅家文草に見えたり、残菊宴は十月五日に行はる、村上帝の時に始まる、西宮記に見ゆ、〈◯中略〉ひともとぎくは、新勅撰集物名に見えたり、続後撰に、一本菊奉るとも見えたれば別種にや、蝦夷には、春白花の菊ありといへり、菊花種類多しといへど、単弁、重弁、有心、無心、旋心、仏頭、蜂窠の七品おもて総る也といへり、近年一株にて、五色お備るあるに至る、〈◯中略〉歌に山路の菊などいへるは、本草にいへる苦薏なべし、群芳譜にも、菊与薏有両種と見えたり、苦薏一名野菊にして、倭にのぎくと称するは、馬蘭一名紫菊なり、嫩葉およめなといへり、源氏に老おわするヽ菊といひ、齢お延ぶる事お歌によめるは、風俗通に見えたる南陽の甘谷の事によれり、仙書に延寿客といふよし、月令広義に見えたり、菊の下水などもよめり、本草に据ば、南陽の菊黄白両種あり、蒙筌に、月令独于菊曰黄花、取其得時之正、況当其候、田野山側盛開、満眼皆黄花也と見ゆ、我邦山野自生の者は、皆白花なるお異とす、