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松の落葉

菊からくにの菊は、こヽのふぢばかまなり、そのよしあきらめいひてん、〈◯中略〉秋の野におのづからあまた生出てさく菊のはなは、ならのみやこのころにもあるべく、そは万葉集八の巻の歌に、ななくさとかぞへしなかのふぢばかまなりけり、そのなヽくさは、山上憶良詠秋野花歌に、秋野爾(あきのぬに)、咲有花乎(さきたるはなお)、指折(およびおり)、可伎数者(かきかぞふれば)、七種花(なヽくさのはな)、〈其一〉芽之花(はきがはな)、乎花葛花(おばなくずばな)、瞿麦之花(なでしこのはな)、姫部志(おみなへし)、又藤袴(またふぢばかま)、朝貌之花(あさがほのはな)、〈其二〉とよめるにぞありける、かきかぞふればといへば、大かた秋の野に咲たる花の、あるかぎりおいへるこヽろなるに、あまた咲てうつくしききくの花おもらすべしやは、朝貌は桔梗、藤袴は菊なれば、げに秋の野のはなのこりなし、ものしり人は、ふぢばかまお蘭なりともいへど、らには生いづる野まれにして、七くさのかずにいるべき花のさまならず、類聚国史巻三十一、帝王部にも、平城天皇大同二年九月のくだりに、乙巳、幸神泉苑、琴歌間奏、四位已上共挿菊花、于時皇太弟容歌雲、美那比度乃(みなひとの)、曾能可邇米豆留(そのかにめづる)、布智波賀麻(ふぢばかま)、岐美能於保母能(きみのおほもの)、多乎利太流祁布(たおりたるけふ)、上和之曰、遠流比度能(おるひとの)、己己呂乃麻丹真(こヽろのまにま)、布智波賀麻(ふぢばかま)、宇倍伊呂布賀久(うへいろふかく)、爾保比多理介利(にほひたりけり)、と見えたり、挿菊花とありて、御歌にふぢばかまとよみたまへば、菊はこヽのふぢばかまなることさだかなり、さきに延暦の帝はきくとよみたまひしかども、花はすぐれてめでたけれど、こヽのふぢばかまと同じものなれば、かくもよみたまへるなり、さて挿菊花とある此菊は、蘭の字の誤お写伝へしなるべしと、上田秋成はいひつれど、さにはあらじ、日本後紀に、同じ御代の此事おかヽれたるにも、挿菊花とあり、二書ともに蘭の字お草の手にかきて、菊にあやまるべしやは、〈◯下略〉