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一話一言
十六
巣鴨菊丁卯〈◯文化四年〉の九月、節遅くして菊の花いまだひらかず、十月六日、白山本念寺なる母の墓にまうでしかへるさ、巣鴨五軒町の菊見にゆく、去年みし垣根の山茶花いかヾならんと問ふに、花すでに咲てかつちるもあり、先樹家権左衛門が園にいりて、大菊おみる、〈花壇四間計也〉中菊もあり、花いまだ十分ならず、その隣に文次郎といへるあり、門に風流菊船作といへる標おたつ、入てみれば船の形につくりなせり、〈花藤色小輪也〉それより市左衛門が園に入てみれば、花又咲り、こヽには孔雀の羽おひろげたらんやうにつくれる二本あり、花いまだ遅し、小路お出て巣鴨の大路に出、左の方なる弥三郎が園に入りてみる、去年みし西施白の花盛にして、蝋石もてきざみたる如し、花の中は黄色にうるみたるやうにみゆ、これは大村家より出し種にて、もとは漢種也とぞ、紫の中輪に一とむら〳〵づヽ、白き生(ふ)の入たるお、露のやどりと名づく、実生にして今年の新花なりと、弥三郎かたる、小菊のあざみ菊といへる二もとお、ふさ〳〵と大きくつくりなせり、一は白、一は紫也、〈紫の方未開〉三間の花壇の中に、たヾ一もとにて左右に二間半あまりひろごりて、山のかたちにつくりなせる黄赤色(かばいろ)の菊お、天真冠と名づく、これは去年の十月に苗お分てつくりたれば、十二月の培養の力によりて、かくはなれりといふ、なべての菊は、四月に苗おわかちて、九月まで六け月の培養也、ことしは十一月より根おわかつべきなどかたれり、存養の力のあつき事、これにてもみつべし、夫より東ざまに歩みて、佐太郎が園にいる、これは今までみし花にくらぶべくもあらず、園の中よりはじめの市左衛門が庭に出て、もとのみちおかへれば、六日の月の影雲間にもれて、さやかなるお見つヽ、金曾木の里のやどりにかへりぬ、