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桂林漫録

菊変艾連歌師阪昌周、東都山伏井戸に僑居のとき、隣家の老父、菊お好て作りけるが、長お延さずして、花お開かしめん事お欲し、年々切つめ苅こみける程に、二三年の後、変じて艾と為りぬ、唐艾の名宜なりと、昌周が雲ける由、予〈◯桂川中良〉が幼なるとき、杉田老医、先考国訓法眼へ語りけるお、思ひ出だせる儘援に記す、