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塵袋

さきくさおば清輔が奥義抄に檜木と釈せるは実事歟、木おくさと雲ふ心如何、檜木と雲ふ事は本説いまだみず、まさしくは草の名なり、䓪(ちやう〓猪羊反)とかく、又は福草とも、幸草とも、三枝ともかけり、えだもはも、相むかひて、いく枝にわかるれども、三づヽ三(み)またに枝さす物也、さひはかく雲ふにや、又是おとびくさと雲ふ、あらたにおふるとびくさのはなと雲ふ是也、さきくさおば、とびくさと雲ふゆへに、このとのはむべもとみけりともよめる歟、奥義抄には、ひの木にて家お作る物なれば、みつば、よつばにとのづくりせりとは雲へるよし釈せるは、推量の分也、幸草とも、福草とも、とみくさとも雲へば、よき名ある草おいはひてよめり、三枝草なれば、みつばよつばと雲へり、四葉はあまり事也、ことばのかざりにや、言のたよりに、繁栄の心おいはんとなり、さいくさのまつりおも三枝とか、姓の中にもさいくさべと雲ふ姓あり、三枝部なり、万葉の歌には、さいくさのなかには、むねとうつくしくとよめるも、三枝とぞかける、一も檜木とかきて、さいくさとよむ事なし、大輔歌に雲、おもへども人の心のあらたにはうらみにのみぞさきくさのはな、とよめり、此の歌は、あらたにおふる、とみくさお、さは〳〵とよみきりたり、是又またく檜木にあらず、ふる木歌仙の釈はやうこそはあらめ、たやすく是お改むべきにあらねども、所存ばかりおば、かたはし是お注す、人の非可信用、