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宇治拾遺物語

これも今はむかし、〓波国篠村といふところに、年比平〓やるかたもなくおほかりけり、里村のものこれおとりて、人にもこヽろざし、またわれもくひなどして、としごろすぐるほどに、その里にとりてむねとあるものヽゆめに、かしらおつかみなる法師どもの、二三十人ばかりいできて、申べきことヽいひければ、いかなるひとぞととふに、この法師ばらはこのとし比も宮づかへよくして候つるが、このさとの縁つきて、いまはよそへまかり候なんづることの、かつはあはれに、もしまたことのよしお申さではとおもひて、このよし申なりといふと見て、うちおどろきて、こはなにごとぞと、妻や子やなどにかたるほどに、またこの里の人の夢にも、この定に見えたりとて、あまた同様にかたれば、心もえでとしもくれぬ、さて次のとしの九十月にもなりぬるに、さき〴〵いでくるほどなれば、山に入て〓おもとむるに、すべて蔬おほかたみえず、いかなる事にかと、里国の者思ひてすぐるほどに、故仲胤僧都とて、説法ならびなき人いましけり、この事おきヽて、こはいかに、不浄説法する法師、平〓にむまるといふことのある物おとの給ひてけり、さればいかにも〳〵平〓は、くはざらんにことかくまじき物とぞ、