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本朝文鑑
七/容
松〓容     川凱羨世には花実のふたつありて、麦米はその実お称し、梅桜はその花お愛す、されど実おほめ花おほむるは、和漢に詩歌のふたつなれど、ふたつおひとつの風雅ならんには、人のつくりえぬもむべなるべし、援に松〓といふ物は、草にあらねば木にもあらず、その花もなくその実もなきに、小萩がもとの露にはごくまれ、歯朶の葉陰に雨おいとひて、深山のはてにおひ出れど、その名は和漢の草紙にのせられ、中宮のおまへにも出ぬるよし、すくせいかなる種おまきてや、秋風ふかばとちぎり来しけむ、しかは浮世の嵯峨お出つヽ、柳さくらの錦にも売るなれ、その香は風のほのめきて、兵部卿宮の膚にそひ、その色は雪の白ければ、久米仙人の脛お思ふ、是より人のあこがれて、物いはざるに車おとヾめ、笑はざるに駕おかたむくよし、さは天の生質なるべし、さるから下〓の口にかなはず、すましの汁のすめる世に出て、みそ汁のにごれる世には居らず、子曰く、はじかみも、蒸松〓おもてなして、旅の哀公の饗応にも、しらげの飯に鱠はありとも、是お捨ずしてとはいふなるべし、ある日は鳳闕の千畳敷にかしこまり、ある時は魚町の八百屋に寝ころべば、今は西島の遊君ともあそび、東園の岐童にもまじはりて、吸物の花柚に色めける、いはヾ実もあり花もありて、其名は風雅のひとつなるべし、