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兎園小説

なら〓 乞児の賢 羅城門の札上州真壁郡野瓜村にての事なりし、寛延四年辛未〈是年改元宝暦〉四月中、百姓ども寄り合ひて、なら〓といふきのこ、大さ三四寸ばかりなる、いと美事なるお取り来て、四五人より合ひ、吸物にこしらへ、酒お飲まんとせし折、同村なる不二沢幸伯といふ医師来にければ、五人のもの申しけるは、さてさてよき処へ御出候ものかな、今日ならたけといふきのこお採り候故、吸物にして酒おたべ候なり、幸ひの折なれば、御酒ひとつきこしめされよといふに、此医師もそはよき処へ参りあはししなどいふ程に、吸物膳おもて出でければ、蓋おとりて見るに、特に美なるなら〓お、四つ割にして出だしたり、幸伯これお吸はんと思ひしに、はじめ座につく時、腰にさげたる印籠巾著お、膝の脇にや居しきけん、忽はつしと音しにけり、幸伯ひそかに驚きて、こは印籠おひしぎしならんと思ひつヽ、とりて見るにさせることもなし、こはいかにと疑ひまどひて、やがてその巾著の紐おときつヽ、内お見るにいぬる年兄道伯がくれたりし、三つ角の銀杏くだけたり、そのとき幸伯思ふやう、曩にわが兄の、この銀杏おくれしときにいへらく、その理あるにあらねども、三つ角なる銀杏は毒けしなりとて、むかしより人のいひ伝へたり、よしや医師なればとて、かヽる事は俗にしたがひて、文盲見義に用ふるぞよき、其方にも一つ懐中せよとくれたるお、この巾著に入れおきしに、今摧けしは不審の事なり、且この吸物は、わが好物といふにもあらず、いかにせましと思ふ心の、とかく心にかヽりしかば、吸はぬにますことあらじものおと、やうやくに思ひとりて、もろ人にうちむかひ、われらけふは大切なる精進日に候へば、御酒ばかりたまはらんとて、盃おうけて少し飲みしが、遂に療用にかこつけて、酒宴なかばに辞し去りぬ、しばらくして彼吸物おくらひし百姓の家より、幸伯がり人お走らして、隻今見まひ給はれかしとて、急病用の使、推しつヾきて来にければ、幸伯ふたヽびゆきて、彼五人の中、亭主と外一人の即死したれば、療治届かず、残る三人は、その腹いづれも大鼔のごとくにはれたれども、命運や竭きざりけん、からくして順快しけり、そのヽち幸伯は江戸へ出府せし折、かヽる事にや、不思議に命お助かりしとて、朋友某に物がたりしなり、〈◯中略〉  文政八年乙酉六月朔     乾斎主人識