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度は物の長短お量るの謂にて、其器お名づけて尺と雲ふ、後世之お物指(ものさし)とも雲ふ、指(さし)は即ち長短お量るの謂なり、蓋し太古に在りては、其器未だ出でず、故に両臂お伸張するお尋(ひろ)と雲ひ、四指お以て握るお握(つか)と雲ひて之お量りしなり、其後度器お造るに至り、物の長短大小、始て其正お得たり、然れども其制詳ならず、文武天皇の大宝制令に至り、尺に大尺小尺ありて、小尺の一尺二寸お以て、大尺の一尺とす、而して大尺は地お量るにのみ用い、其余は皆小尺お用いしむ、又銅造の様式お大蔵省及び諸国司に給し、官私用いる所の度器おして、毎年省国に就きて題印お受けしめ、然して後始て用いることお聴す、而るに元明天皇の和銅六年、此制お改定し、其大小尺は、各従前の大小尺の一尺二寸お以て一尺としたり、而して延喜式の制に、小尺は晷景お測るにのみ用い、其余は皆大尺お用いるは、恐らくは和銅の改定に出づるならん、曲尺の称は、即に源順の倭名類聚抄に見えたり、造るに鉄お以てしたれば金(かね)尺と雲ひ、屈折して矩の形お成し、専ら工匠の用に供するお以て、又大工尺とも雲へり、又同抄に竹量(たかばかり)あり、竹お以て製するに由り此名あり、後には鷹計とも書けり、徳川幕府に至りては、竹量の名は即に亡びて、其曲尺の外に、呉服尺、鯨尺あり、呉服尺は、曲尺の一尺二寸にして、鯨(くぢら)尺は曲尺の 一尺二寸五分なり、而して呉服尺は専ら裁衣の用に供するに由り呉服お以て名とし、鯨尺は其初め鯨骨お以て製せしに由り此称お得たるなり、然れども後には、一尺二寸五分のものお以て、裁衣の用に供し、呉服尺お用いることは幾ど希なり、故に鯨尺お呼て、呉服尺と雲ふ、或は雲ふ、鯨尺は即ち呉服尺にして、後に分れて二種と為りしなりと、右三種の外に、量地尺、裏尺、文尺等の数種あり、要するに徳川幕府にては、量衡二器の為には、座お置きて之お検束したれども、度の為には、別に其制お設くることなかりき、此他寺院等に蔵する所の古尺あり、其長短大小一ならず、事は本文に詳なり、