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古史伝

手置帆負(たおきほおひ)命、彦狭知(ひこさしり)命、此二神の始めて御殿お造り給へる事より及ぼして、名義お考ふるに、まづ手置とは、手お布(おき)て物お度(はか)るお雲ふ、其は曲尺(ものさし)お用ふるは、稍後の事にて、古は必手して度けむ故に、十握劔、八握須、七握脛などの都加、また八隻鏡の隻(あた)、みな手の度(のり)なり、〈○註略〉帆負の帆は借字にて、尋負(ひろおひ)なり、尋(ひろ)は一尋二尋などの尋なり、〈此は一広げ、二広げと雲ふ義なるべし、〉さてひろおほと雲 は、船の帆既ひろなり、〈又軍装の保呂てふ物も帆(ひろ)と同言なるべし、かく見る時は、帆も借字には非ず、正字と雲べきか、〉斯て尋は長〈け〉一丈ならむ者(ひと)は、尋も一丈あるべく、五尺の人は、尋も五尺なり、これ大抵定れる度(のり)なり、然れば小き物は手にて度り、大なる物は尋にて度れりと見ゆれば、手置帆負命と、御名に負給へるなるべし、彦狭知命、彦は例の称辞、狭知は、狭(さ)は借字にて度知(さししり)の義ならむか、〈さししりのしし、一言に約まるは常なり、〉其は尺度(ものさし)もて、物お度り給へるよりの名なるべく所思(おぼゆ)ればなり、但し毛能佐斯(○○○○)お唯に佐斯(○○)とばかり言むは、如何にも思ふべけれど、毛能とは弘く諸物お指て言辞にて、佐斯とのみ雲ぞ本語なりける、〈其はさしがね、曲尺のさしは更なり、さし対ひ、さしふたぎ、又二人にて物する事お、さしにて為(する)と雲などのさしも、此と彼と差通(わた)れるお雲て、同意なるべし、〉さて掌(しり)は、彼事お司(し)る、此処お領(し)る、また神ぞ知るらむ、などの斯留、みな同言にて、尺度お掌給へる故の御名なるべし、〈又若くは今の尺度と雲もの、其起原は、天津神の大御長より出たらむも、其お尺度と為て用ふる事は、此神の始めて製り給ひけむも知べからず、猶よく考ふべし、〉其は尺度は、家作に無くて協はざるは更にも雲はず、万の器械(もの)お作るにも、必用ふべき物なるお、此二神さる方に功(いそし)く坐ます故に、各も〳〵其事(わざ)お御名に負給へるなりけり、