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本朝度量権衡考

本朝令の大小尺は即唐の大小尺にて、今の曲尺は其大尺なり、〈羽倉在満が度制略考に、本朝令の小尺は、唐の大尺にして、今の曲尺なり、本朝令の大尺は、高麗の度地尺にて、今の呉服尺なりと雲へり、此説に拠れば、本朝令の小尺は唐の大尺にて、唐小尺おば用ひざりしとしたれども、もし唐大尺お小尺としたらんには、義解に以【K二】北方秬黍中者一広【K一】為【Kれ】分とは雲ふべからず、〈一黍の広さお一分とするは唐小尺なり〉且和銅五年に写したる仏経の紙、唐小尺の度に合ひたれば、〈此事下に詳にす〉本朝の小尺は即唐小尺なること明らけし、又高麗尺は田令集解に引きたる古記に出し説に拠りたるなれども、其本拠慥ならず、高麗尺と雲ふもの他書に見えざれば証となし難し、たとひ高麗尺と雲ふもの有りとても、本朝令は唐令に因りたるに、唐尺お用ひずして高麗尺お用ふべき理あらんや、羽倉氏の説誤なり、(中略)又藤貞幹が好古小録には、本朝令の小尺は即唐の小尺にて今の曲尺なり、大尺は即唐大尺にて今の呉服尺なりと雲へり、本朝令の大小尺お即唐の大小尺としたるは当りたれども、唐小尺お曲尺とし、唐大尺お呉服尺としたるは誤なり、累黍の説は非なれども、其長さは大よそ違ふべからず、試に黍お累ねて曲尺の唐小尺に非るお覚るべし、〉されども年久しく伝へたれば今の曲尺は稍訛長せしものなり、