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善庵随筆

西土の人は、歩瑣細の事迄も、何くれとなく記載し、余す所なき様なれど、文に過ぎて、反りて実お失ふ幣あり、邦俗は文足らずして、伝ふべきおも伝へざる幣ありといへども、朴実旧お守るより、反りて古お存し、考証の資けとなることあるなり、今一事お挙げていはヾ、吾邦古へ唐制に倣ひ、尺に大小の二様あり、大尺の一歩は五尺、小尺の一歩は六尺、これ五尺六尺と、名お異にする迄にて、大尺の五尺は、小尺の六尺、小尺の六尺は、大尺の五尺にて、度の長短に変りはなし、たヾ地お度る尺杖は、大尺の五尺お用ふることにして、雑令に、凡度【Kれ】地五尺お為【Kれ】歩とありて、定制の様に思はるヽなれど、時に臨みて小尺お用ふることもあるにや、令集解に、和銅六年二月十九日の格お引きて、其度【Kれ】地以【K二】六尺【K一】為【Kれ】歩とも見えたれば、当時大小の二様、とり交ぜ通用する事なりし、御家にては、紛はしき故お以てにや、慶長年中より、概して小尺の六尺お用ふる制度と為し給ふめれど、昔より大尺の五尺お以て検地せし所は、別に検地帳お書き改むること無きも、其儘にて差し置かれ、若し新に検地するときは、必ず御定法通り、六尺一歩の間竿(○○○○○○○)お用ふるにぞ有りける、然るお地方懸りの有司、文字無きゆえ一歩お一分と心得違ひし、間竿に一分の有余お加へ、一間六尺一分とし、二間竿にして、一丈二尺二分お用ひしより、遂には御規定の様に心得、今日に至りては、六尺一分、天下の制度となりたり、広大なる地面の上にて、何の損益ありて、一分お加へ給ふの理あらんや、六尺一歩なればこそ、今に検地帳奥書に、六尺壱歩之間竿お以て、壱反三百歩の積御検地相極と書き来ることなるお、或人の六尺一分と書きて、指し出だしヽことの有りしに、該府にて、壱歩と書く仕来の法に相違するとて、歩の字に書き直し被【K二】申付【K一】之由、故に県令も其跟官も、何の故とも知らず、隻此歩の字のみに限り、分の字に書くまじきことの様に心得、堅く先規お守ることにぞ有りける、若し容易に分の字に書き 改めなば、今日に在りて、誰か六尺一歩の歩なることお知るべけんや、