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律尺考験
上宮太子の古尺(○○○○○○○) 和州法隆寺は、上宮太子の宅、斑鳩の宮の旧跡なり、宝蔵に太子の遺物多し、中に周尺と雲ものあり、余南都の相知れる人につけて、其尺様おくはしく摸し取てみれば、象牙やうの物お赤く染て、花文お刻、机上の圧尺に造りたる物とみゆ、其長さ御府の古尺にて、一尺二寸五分にあたり、外に二厘ばかり強 し、其生目はなけれども、両方のそばに、四花の細点各廿一あり、其間お五分あてにして、首尾一尺ある物と示したるならん、一端に五段の寸お刻む、これ即世に太子がねと称して、大和番匠の用い行へる、工匠曲尺の定本なり、其末は匠尺の五寸にたらざる故に、寸おきざまず、〈○中略〉彼等にこれお周尺と雲こと、浮屠氏古尺の通称なり、元禄八年、法隆寺の宝器お京都へもち来りて開きける時に、此摸尺お以て本尺に比校して、少もたがふことなかりし也、