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律尺考験
御府の竹周尺(○○○○○○○)、〈○中略〉往歳余これお小倉藤亜相実起卿に聞けり、古来禁裏の御文庫に、竹の周尺あり、弘法大師、入唐の時、彼方より佩て帰りたる尺と雲伝へたり、竹にて作り、うらに周尺と刻めり、形色甚だふるびて、誠に千載の物とみゆ、一とせ勅おうけて、文庫の書お晒しける時にこれお見て、則謹て委しく模しとめたり、其後寛文元年、内裏焼たる時、もとの尺はうせたりと、余その模尺お亜相に請ひ、うつし取て、漢唐の銭お以てはかりしに、此尺即唐の准尺に合たり、則此尺、梁の表尺なり、此尺お一尺二分一四余にわりて、其一尺お以て、古周尺と定む、〈晋前尺とするなり〉後周鉄尺、此【K二】晋前尺【K一】、一尺六分四釐とあり、唐小尺、即此尺と同じき故に、考定の古尺の一尺六分四釐お以て、唐の小尺お定め、小尺の一尺二寸お以て、唐の大尺お定む、大尺は古尺の一尺二寸七分六釐八毫に比し、古尺は大尺の七寸八分三釐二毫に比す、又此古尺お以て、何れの証跡にくらべても、皆合ずと雲ことなし、然れば、此尺の梁の表尺に出て、唐の准尺たることは、其疑なきもの歟、是お周尺と雲つたへたるは、凡古代の尺お、仏氏は皆周尺と称するが故なり、