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槐記
享保九年五月九日、三器通考拝借す、猶秘すべき由仰らる、それに付兼て仰らるヽ通り、日本 にてはきと知れざるものは、御府の周尺なり、法隆寺の尺も、しかと周尺とも定がたし、御府の尺より長し、御府の周尺は六寸四分弱、法隆寺の周尺七寸余あり、しかれば迚も尺と雲ものには証にし難し、何ぞ外の器にて、これが三寸ある器也と雲ものが出れば、代々の尺おそれに合せて、三寸に当る尺お何の代の三寸と究めて、その世からわり出すやうにすれば、終に成るべきことなり、是に付て淡海公の令に載たる、天皇の内印外印と雲ものあり、御所にも其璽おおされたる者あり、これが令の寸法、内印三寸外印二寸八分とあり、これに代々の尺お合せて見れば、漢の尺が丁ど当る、是お本にして、代々の尺おわり出すからは、成そうなもの也と仰らる、