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我衣
寛保の比、将軍吉宗公御三男、従三位右衛門督宗武公、近臣に語て曰、元文の比、荻生総右衛門〈徂来先生〉へ、唐尺の本寸吟味被【K二】仰付【K一】、唐尺は開元通宝径り八分、十銭お以て一尺と定たり、依て其比開元通宝お集るに至て、大中小の不同あり、何れお本寸と定べきと迷へり、徂来中なるお用ひて曰、過不及なしとして、中分の銭お一寸と定めたり、吉宗公是お本とせり、宗武公是お不審して曰く、夫玄宗、銭お製するに、役人に命じ下民に令【Kれ】製、然るに民小銭お本として、大銭おこしらゆべきい はれなし、極て大銭お本として、次第々々に銭に鋳たるに紛れなし、予が本寸とする者は、大銭お用べき者かとぞ仰ある、近侍臣我等如き小身なれどもかほど下情には通ずること能はずとて、皆感心すといへり、