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本朝度量権衡考

本朝にては、唐令に十籥とあるお受て、実に十籥お合と定め給ひしなり、〈舒明天皇の御時に定め給ひし量も、十籥の合にぞありつらん、もし二籥の合お用ひられたらんには大宝の時、却て誤なる十籥お合に定めらるべきに非ず、〉是によりて本朝の量お起せば、斛〈積小尺八千一百寸〉今六斗六升二合七勺六撮余斗〈積小尺八百一十寸〉今六升六合二勺七撮余升〈積小尺八十一寸〉今六合六勺三撮弱合〈積小尺八寸一百分〉今六勺六撮強籥〈積小尺八百一寸分〉今六撮余〈倭名類聚抄称量具に籥お載せたれども、本朝令に合升斗斛お挙げて、籥おば載せず、義解に籥のことお雲ひたるは、唐令によりて合の容受お示したるにて、此器ありしには非ず、延喜式にも、何合何勺何撮とありて、籥お以て量りしものなし、籥は唐にてすお用ひざりしかば、まして本朝にては用ひざりしなり、是小量にて、大量は是お三倍したるものなり、斛〈積小尺二万四千三百寸〉今一石九斗八升八合三勺弱斗〈積小尺二千四百三十寸〉今一斗九升八合八勺三撮弱升〈積小尺二百四十三寸〉今一升九合八勺八撮強合〈積小尺二十四寸三百分〉今一合九勺九撮強是大量なり、雑令に、凡度【Kれ】地量【K二】銀銅穀【K一】者皆用【Kれ】大、此外官私悉用【K二】小者【K一】と雲ひしは、此大小量お雲へるなり、〈銀銅は大称にて称り、穀は大量にて量るお雲ふ、称【K二】銀銅【K一】量【Kれ】穀と雲ふべきお、量【K二】銀銅穀【K一】と書しは、文お省きしなり、〉或人難じて曰、令義解に十籥とあるは、唐令によりたるなれども、唐にて令には十籥と雲ひながら、其実には二籥お用ひたれば、本朝にても義解には十籥とあれども、実は二籥お用ひたるも 知るべからず、況令の正文に十籥と雲はざれば、十籥お用ひしとは定め難きに似たり、然るお本朝の量お十籥と、定めしは如何、答延喜雑式に、凡公私運【Kれ】米、五斗為【Kれ】俵、仍用【K二】三俵【K一】為【Kれ】駄と雲へり、雑令に穀おば大量にて量ると雲ひ、雑式には悉く大お用ふと雲ひたれば、此五斗も大量なるべし、小量お二籥とすれば、大量は六籥なり、六籥の合お以て五斗お量れば、今の一斗九升八合八勺余なり、俵とせんに甚少きに非らずや、〈十籥の合なれば、今の三斗三升一合余、〉三俵は今の五斗九升六合余なり、