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甲斐国志
二国法
桝屋慶長八年六月八日、小笠原秀政、信州にて出せる掟書に、口籾之義、壱石に付可【Kれ】為【K二】弐升宛【K一】候、竹とかき(○○○○)にて百姓可【K二】計渡【K一】候、但新京升五斗入之事と見ゆ、