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成形図説
十四農事
麻須〈○中略〉武佐判量(ます)は近江武佐より出す、八合入なり、故に八合量とも唱ふ、〈武佐は近江の地名なり、兼良公の関の藤川記に、近江の武佐といふ所にやどる、武士のゆがけはたてぞなびくなるうべこそ無佐の名は残りける、〉天文十三年、佐々木義実、百姓の租お納に、二合お減じて収(とる)が為に、近江武佐の倉にて造る所、是百姓お存恤の志にして、末代の恵政と称せり、〈○中略〉然お俗に或は之お石田(ます)量とも唱へて、石田三成、八万石の地お十万石に料(はから)んとて、八合入お用ひしな どいふは愚なる説なり、〈○中略〉又一説に柴田勝家の製(つく)る所なり、後世小量(ます)と印烙(やきいん)なきものお、謾にむさばんと呼ぶは、元(もと)無判と雲ことの訛也と見えたり、武佐判量(ます)寸法、〈方四寸六分半、深二寸三分八厘半強、〉