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算法地方大成

諸国俵入の事一甲裴国の年貢、前々は籾納俵入、甲州升二斗二升入なり、甲州桝(○○○)は、武田時代よりの遺法にて、今の京桝三升にて、甲州桝一升なり、当時も皆三升桝お用ふ、猶京桝も用ふれども、希の事なり、都て何斗何升と、桝目ばかり唱ふるときは甲州桝なり、又京桝お用ふるときは、京桝何斗何升と、京の字お添て断る事なり、甲州桝は、官許の桝座、甲府にありて、江戸桝座お用ひず、但し京桝は、江戸桝座お用ふ、甲州桝五合お半(なから)と唱へ、〈京桝壱升五合にあたる〉二合五勺お小半(こなから)と唱ふ、〈京桝七合五勺にあたる〉諸式商売等にも、半(なか)ら小(こ)半らと呼て、升目おいはず、右籾弐斗弐升入は、京桝にて六斗六升なり、五分摺にして米三斗三升になるべきお、米性宜しきゆえ、六斗六升の籾お摺て、米三斗六升と立たるものとみえ、甲州米一俵は、三斗六升入なり、此割合にて、一升の籾お摺て、五合四勺五才余に当る、往古籾納は、日本一統といへども、甲州は世上米納になりたる以後迄も、籾納にいたしたるよし今は米納なり、