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並山日記

三日、〈○嘉永三年四月〉けふもまたつれ〴〵なりしに、ある人ふるき升どもおもて来てくれたり、抑当国〈○甲斐〉所用の升はつねの京升とはいたくことなり、まづ一升といふは三升おおさむ、次お一はいとて、弐合五勺、京升の七合五勺なり、其つぎおなからといふ、一合二勺五抄いりにて、京升の三合七勺五抄なり、其次おこなから(小半)といふ、六勺一抄五撮いる、京升一合八勺二抄五撮なり、このよつのます通用して、府中升座の焼印あり、またむさますとて、判なきもおほし、よろづのたなつものには、この升おもちい、酒あぶらやうの物には、京升おもちいるとぞ、たゞしこは山梨八代巨麻の三郡のみ通用するおきてにして、都留郡はかはりめありとぞ、〈○此間有【K二】上文甲斐国志一節【K一】〉一升お一配ともいふとあるは、我〈○黒川春村〉きくところとひとしからず、かさねてまたたづねてむ、たゞし帝字の焼印につきては、国人奇異なる説おいへど、うけがたければ、こヽにはもらしつ、