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甲斐国志
二国法
秤子古へ秤に京目田舎目(○○○○○)と雲事あり、斤両の数今未【Kれ】詳、浅野左京、文禄五年正月廿八日、与【K二】野中新兵衛【K一】印書、〈野中金座なり、甲金条下【Kに】委し、〉金壱両者京目、〈五十枚出目〉金四両弐分壱朱〈は〉為中目(いなかめ)〈弐百枚之出目〉合五両弐分弐朱壱厘五なりは為中目(いなかめ)、延引請取候也とあり、按【Kれ】之京目方強しと知べし、但是は本州に限たる名には非ず、昆陽漫録に載する所、天正六年〈戌寅〉三月拾七日 〈北条陸奥守平氏照内〉 由木左衛門尉景盛拝遺高野山〈竜光院之内宗忍坊〉二親為【K二】成仏【K一】、高野山月牌奉【K二】之【K一】、但黄金弐両京目、国宗刀長二尺三寸、今本州に所【Kれ】用斤両は、凡物百六拾目お為【K二】壱斤【K一】通例なれども、薬種類産【K二】本州【K一】者、弐百目或弐百三拾目お為【K二】山目(○○)壱斤【K一】、竜王村より出す煙草も弐百目壱斤なり、謂【K二】之西目(○○)、重目(○○)、又竜王目【K一】(○○○)、其余煙草は皆百六十目なり、木綿の実あるお粒(つぶ)もめんと雲、六百目お為【K二】壱斤【K一】、弐拾斤お為【K二】壱本【K一】稿俵に入、繰(くり)綿壱斤は三百目なり、弐斤お為【K二】壱玉【K一】、拾玉お謂【K二】壱本【K一】、六貫目なり、直江は甲金壱両に木綿は何斤、〈又雲【K二】何把【K一】〉くり綿は何貫何百目替へと雲、〈土地により木綿壱斤に、くり綿百五六拾目あり、弐百目お得るなり、直にも自ら高下あり、〉