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本朝度量権衡考
権衡
本朝令に、権衡廿四銖為【Kれ】両、〈本注三両為【K二】大一両【K一】〉十六両為【Kれ】斤、義解に、謂以【K二】秬黍中者百黍重【K一】為【Kれ】銖、廿四銖為【Kれ】両とあり、是も唐令に、秤【K二】権衡【K一】以【K二】秬黍中者百黍之重【K一】為【Kれ】銖、二十四銖為【Kれ】両、三両為【K二】大両一両【K一】、十六両為【Kれ】斤、と雲ひしに因り給ひしなり、古器の権衡の証とすべき者今存せずと雲へども、〈好古小録に、天平以来の器に斤両お題したるは、皆今と同じと雲ひたるは、さも有るべきことながら、如何なる器お見たりしかおぼつかなし、○中略〉通典に武徳四年廃【K二】五銖銭【K一】、〈随の五銖銭なり〉鋳【K一】開元通宝【K一】、毎【K二】十銭【K一】重一両、計【K二】一千【K一】重六斤四両二十四銖、則一銭重二銖半以下と雲ひ、旧唐書に、開元通宝銭、重二銖四累、積【K一】十文【K一】重一両、一千文重六斤四両と雲へば、〈いづれも大称にて計りしなり〉開元銭によりて唐称お起すべし、〈○中略〉然らば今の一匁は、唐の大称の二銖四累にして即宋以後の一銭なり、〈宋の時、二銖四累お一銭とし、二累四黍お一分とせしより、銖累の名遂に廃したり、附録に詳にす、〉故に今一匁お二銖四累として権衡お起せば、銖〈三百黍〉今四分一厘六豪六糸六忽不尽、〈厘或は釐字お借用ふ、俗省て厘に作る、集韻に見ゆ、又廛字おも省て厘に作る、干録字書に厘廛上通下正とあるお、楊玄操が音義に、音纏又音釐と雲ひしは、此厘字お定めかねたるなり、今俗豪お毛と雲ふ、豪字お俗に毫に作る故、それお省きし者なるべし、今俗一糸お一払と雲ふ、此名何より出たるにか詳ならず、或人の雲ひけるは、払は忽の訛音にて、それお誤りて、豪お十分したる数の名とせしなりと雲へり、銭の内お分厘豪糸忽と称ることは、度の小数の名お称の小数の名に借りたるなれば、上件の事ども度考に雲ふべきお、今俗称の名に専用ふる故、こヽに如【Kれ】此は雲へるなり、〉両〈七千二百黍〉今の十匁〈通典に、毎【K二】十銭【K一】重さ一両と雲ひしは即是なり、按ずるに、説文に両、二十四銖為【K二】一両【K一】と雲ひ、両再也とありて、二字同じからず、後世は皆両に作りて、両字は廃れたり、斤〈一十一万五千二百黍〉今の百六十匁〈後世は銖累お廃し、銭分お以て諸物お称れども、斤と両とは、唐の称法お変ずること無し、 是雑令に三両為【K二】大一両【K一】と雲ひ、量【K二】銀銅穀【K一】者、皆用【Kれ】大と雲ひし大称にて、六典延喜式等に薬お合する外は、悉大なる者お用ふと雲ひしも此称なり、小称はこの三分の一なれば、銖〈百黍〉今一分三厘八豪八糸八忽不尽両〈二千四百黍〉今三匁三分三豪三糸三忽不尽斤〈三万八千四百黍〉今五十三匁三分三厘三豪三糸三忽不尽