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日本書紀
六垂仁
二年二月己卯、〈◯九日〉立狭穂姫為皇后、〈◯彦坐王女〉 十五年八月壬午朔、立日葉酢媛命為皇后、〈◯丹波道主王女〉 九十九年七月戊午、〈◯三日〉天皇崩於纏向宮、時年百四十歳、〈◯御年、古事記に、一百五十三歳とし、帝王編年記に、百十一歳とし、水鏡に、百五十一歳とす、但し、崇神天皇二十九年、降誕の文に依れば、百三十九歳にして、四十八年に二十四歳立太子たる文に依れば、百四十三歳なり、〉