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日本書紀
二十二推古
豊御食炊屋姫(とよみけかしぎやひめの)天皇、天国排開広庭天皇中女也、橘豊日天皇同母妹也、幼曰額田部皇女、年十八歳、立為渟中倉太珠敷天皇〈◯敏達〉之皇后、三十四歳、渟中倉太珠敷天皇崩、三十九歳、当于泊瀬部天皇〈◯崇峻〉五年十一月、天皇為大臣馬子宿禰見殺、嗣位既空、群臣請渟中倉太珠敷天皇之皇后、額田部皇女、以将令践祚、皇后辞譲之、百寮上表勧進、至于三乃従之、因以奉天皇璽印、十二月己卯、〈◯八日〉皇后即天皇位於豊浦宮、 十一年十月壬申、〈◯四日〉遷于小墾田宮、 三十六年三月癸丑、〈◯七日〉天皇崩、時年七十五、〈◯御年、扶桑略記、一代要記、水鏡、愚管抄、並に七十三歳とし、古事記三十七歳とす、而して本書三十九歳、当于泊瀬部天皇五年の文に拠れば、天皇の崩年は恰も七十五なり、此に拠れば敏達天皇の皇后たるは、二十三歳にして、敏達の崩じたまひし時は、三十二歳なり、前後年紀合はず、蓋し何れか誤あらん、〉