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菅家文草
十一
為温明殿女御、〈◯清和女御源貞子〉奉賀尚侍殿下六十算、修徳願文、〈貞観十三年十二月十六日◯願文略〉
◯按ずるに、神器お別殿に奉ぜしは、何の世に在りしかお審にせず、江家次第、禁秘御抄等の諸書には、垂仁天皇の時と為し、本朝事始〈禁秘御抄階梯所引〉には、崇神天皇の時と為せども、並に確実ならざるが如し、其説に温明殿に御すと雲ふお視ても、其後に在るお知るべし、かヽる名称の当時に在るべくもあらねばなり、温明の字面は、漢書霍光伝に見えて、光薨、上〈◯宣帝〉及皇太后、親臨光喪、賜金銭縡絮東園温明と雲ひ、服虔の注に、東園処此器、形如方漆桶、開一面漆画之、以鏡置其中、以懸屍上大斂并蓋之と雲ひ、顔師古の註に、東園署名也、属少府、其署主作此器也と雲へるが如し、七修続稿には之が説お為して雲く、世之古鏡、多出北方古墓、人知而寳之、未知墓出故也、按、漢書霍光伝、光之喪賜東園温明、服虔註、以東園出鏡之所、予恐温明鏡名也と、殿お温明と名づくるは、蓋し鏡の名に由れるならん、而して崇神垂仁の朝に此名なきや必せり、