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帝王編年記
十七一条
寛弘六年十月四日、里内裏〈後一条院〉焼亡、〈◯中略〉内侍所焼給、雖陰円規不闕、諸道進勘文、為被進勘文被立伊勢公卿勅使、〈行成〉宸筆宣命始也、
◯按ずるに、帝王編年記は、上文寛弘二年の事と混じたるものにて、内侍所焼給雲々の文は、江家次第の、寛弘焼亡、雖陰円規不闕とあるお取りて、寛弘は二年の事なるお六年と誤りたるなり、此時神鏡お取り出し奉りし事は、百練抄の文の如く、又公卿勅使お伊勢神宮に進らざりしことは、二所大神宮例文お視て知るべし、宸筆宣命も二年に始まりしなり、