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愚管抄

八条太政大臣〈◯平清盛〉以下さもある人々、世はかくてはいかヾせんぞ、信頼、義朝、師仲等が中に、まことしく世お行ふべき人なし、主上二条院の外舅にて大納言経宗、ことに鳥羽院もつけまいらせられたりける惟方検非違使別当にて有ける、この二人、主上にはつき参らせて信頼同心にてありける、そヽやきつヽ清盛朝臣ことなくいりて六波羅の家に有ける、とかく議定して六波羅へ行幸おなさんと議しかためたりけり、其使は近衛院東宮の時の学士にて、知通といふ博士有けるが子に、尹明とて内の非蔵人ありけり、惟方は知通が婿なりければ一つにてありける、此尹明さかしき者なりけるお使にはして、言かはして、尹明は其頃は勅勘にて内裏へもえ参らぬほどなりければ、中々人もしらでよかりければ、十二月廿五日乙亥、丑の時に六波羅へ行幸おなしてけり、そのやうは、清盛尹明に細かに教へけり、昼より女房の出んずる料の車とおぼしくて、牛飼ばかりにて下簾の車お参らせておき候はん、さて夜さしふけ候はんほどに、二条大宮の辺に焼亡おいたし候はヾ、武士どもは何事ぞとて其所へまうで来候なんずらん、其時其御車にて行幸のなり候べきぞと約束してけり、〈◯中略〉内の御方、〈◯二条〉この尹明候なれたる者にて、筵お二枚設けて、筵道に南殿の廻廊に敷て、一枚おあゆませ給ふほどに、いま一枚おしき〳〵して、内侍には伊予内侍、少輔内侍二人ぞ心えたりける、これ等先しるしの御筥(○○○○○○)と寳剣(○○)とおば御車に入てけり、支度のごとくにて、焼亡の間さりげなしにてやり出してけり、さて火消て後、信頼は、焼亡は別事候はずと申させ給へと、蔵人して伊予内侍に雲ければ、さ申候ぬとて、此内侍どもは小袖ばかり着てかみわきとりて出にけり、尹明はしづかに長櫃お設けて、玄象、鈴鹿、御笛の箱、大刀契(○○○)の唐櫃、昼の御座の御大刀(○○○○○○○○)、殿上の御倚子など沙汰し入て、追ざまに六波羅へ参れりければ、武士ども押へて弓長刀さしちがへ〳〵して固めたるに、誰か参らせ給ふぞと雲ければ、高く進士蔵人尹明が、御物もたせて参て候なりと申させ給へと申たりければ、やがて申てとく入れよとて参りにけり、ほの〴〵とするほどなりけり、