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増鏡
十三今日の日蔭
正応も三年になりぬ、〈◯中略〉三月四日五日の頃、紫宸殿の師子こま犬なかよりわれたる、驚きおぼして御占あるに、血流るべしとかや申ければ、いかなる事のあるべきにかと、誰も〳〵かくおぼし騒ぐに、其夜九日、右衛門の陣より恐ろしげなるものヽふ三四人、馬に乗りながら九重の中へはせ入て、うへにのぼりて、女孺が局の口に立て、やヽといふものおみあげたれば、たけ高く恐ろしげなる男の、赤地の錦の鎧直垂に、緋おどしの鎧きて、たヾ赤鬼などのやうなるつらつきにて、みかど〈◯伏見〉はいづくに御よるぞと問ふ、夜のおとヾにといらふれば、いづくぞと又とふ、南殿よりひんがし、北の隅とおしふれば、南さきへ歩みゆく間に、女孺内より参りて、権大納言典侍殿、新内侍殿などにかたる、うへは中宮の御方にわたらせ給ひければ、対の屋へ忍びてにげさせ給ひて、春日殿へ女房のやうにて、いとあやしきさまおつくりて入らせ給ふ、内侍剣璽とりて出づ、女孺は玄象鈴鹿とりてにげヽり、〈◯中略〉此男おば朝原のなにがしとかいひけり、〈◯中略〉かヽる程に、二条京極のかヾり屋みこの守とかや、五十余騎にて馳参て時おつくるに、合する声わづかに聞えければ、心やすくて内に参る、御殿どものかうし引かなぐりて乱れ入るに、かなはじと思ひて、夜のおとヾの御しとねの上にて、朝原自害しぬ、