[p.0093]
源平盛衰記
三十八
重衡京入并定長問答事
定長院宣趣、条々委重衡卿に被仰含ける中に、三種神器(○○○○)お都へ返入奉らば、頼朝に仰られて死罪おも被宥、西国へも可被返遣とぞ仰ける、重衡卿院宣の御返事被申けるは、先祖平将軍貞盛が時より、故入道相国〈◯平清盛〉に至まで、代々朝家の御守りとして、一天の御固たりき、而お入道薨去之後、子孫君に棄られ進せて、西海の浪に漂ふ、通盛已下の一門、多く一谷にして被誅、其首獄門に掛られぬ、重衡又懸る身に成ぬれば、一人西国に帰下て候共、負べき軍に勝事侍まじ、不被返下共、勝べき軍に負事候まじ、宿運忽に尽て、一門の中に重衡一人虜れて、故郷に帰上り恥おさらす、されば親き者に面お合べし共不覚、今一度見んと思ふ者はよも候はじ、若母の二位の尼などや恩愛の慈悲にて無慚とも思候はん、其外は哀お懸べし共不存、就中主上〈◯安徳〉の帰入せ給はざらんには、三種神器計お奉入事は難有こそ存候へ、然而忝蒙院宣上は、若やと私使にて申試侍べしとて、平左衛門尉重国と雲侍お可下遣由被申けり、