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禁秘御抄

寳劔神璽
御剣者、〈◯中略〉寿永入海紛失之後、院〈◯後鳥羽〉御時以後廿余年、被用清涼殿御剣(○○○○○)、仍以璽為先、而承元〈◯土御門〉譲位時有夢想、自伊勢進之已来、又准寳剣、以剣為先也、此剣普通蒔絵也、
◯按ずるに、清涼殿の御剣は、昼の御座の御剣と称するものなり、此剣お以て寳剣に擬せしこと二十余年とあるに拠れば、後鳥羽天皇の建久元年庚戌より、土御門天皇の承元四年庚午に至る迄、二十一年間用いられしなり、下に引ける心記お考ふべし、昼御座御剣は、別に其条あり、参看すべし、