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源平盛衰記
十六
三位入道芸等事
悪右衛門督信頼が天下に秀たりし時、殿上の刻み階に夫男一人立たり、信頼彼は何に、狼籍也と申ければ、掻消様に失ぬ、某(それ)に〈◯某に(○○)とは然るにと雲ふ意なり〉一の劔あり、信頼くせ事也と思て、寳物の御劔にも候らん、焼鐔の劔ならば、山おも岩おも可破崩とて、此剣お抜、御坪の石お切るに、剣七重八重にゆがむ、曲なき者也とて、温明殿の椽に棄置れぬ、折節頼政参会たり、信頼欺之いかに剣は見知給へるかと申、頼政弓矢取身にて侍る、如形知たる候と雲、其時少輔内侍と雲以女房、大床に棄置所の剣お被召寄けるに、曲たる剣忽に直て鞘に納る、不思議也とて頼政にみせらる、頼政打見て仰て、まめやかの御劔也、朝家の御守たるべし、其故は大神宮に五の剣あり、当時内裏に御座す寳剣は第二の剣、是は第三の劔也、但頼政いかヾして神劔お知侍るべきなれ共、作人に依て劔体お知、其上今夜の夜半におよびて、天の告示給事あり、国お守らん為に皇居に一の劔お奉る、即寳劔是也、亡国の時は此劔又寳劔たるべし、為用意奉権剣と見て候、折節今日御劔出現之条、併国の御守と覚ゆと申、其時信頼卿ふしぎ也と思ひ、さらば劔の徳お施給へと雲、頼政霊劔自由の恐ありといへ共、仰にて侍ば、何事おか仕べきと申、御前の坪の石おと聞ゆ、畏てとて頼政彼石お切るに、かけず散々に切破て見参に入奉る、禁中さヽめき、上下驚目、信頼始は欺て雲たりけれ共、今は恐くぞ思ける、さて剣の呪返お満て、鞘にさして温明殿に移し置る、加様に勘申けれども、不肖〈◯不肖(○○)は不請なり、其言お信ぜざるなり、〉に被思召ければ頼政が言お不被信、元暦二年三月廿四日に、寳劔浪の底に沈ませ給て後、彼劔寳劔と成し時こそ頼政実に非直者と被思召けれ、
◯按ずるに、此は伊勢より進りし神剣に就ての、一箇の妄説なるべし、