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伯耆巻
四月一日、〈◯元弘三年〉大仙寺に可然衆徒等お召て勅定〈◯後醍醐〉有けるは、御在所の内しかじかなる剣可有、取て進せよと被仰下、罷帰て奉見ば、品々の剣も候けるが、如勅定なる剣はなし、作去とて似たる剣お取て進らする、是にてはなし、能々見て参れと勅定なり、頻に求けれども無之由お奏す、唯見て参れ、能々尋て進せよと有勅定間、進退きはまりなく、衆徒等以の外仰天して、重て見る処に、御神体の御膝の下に、何の代より納りたりとも知ず御剣あり、是にて渡らせ給けりとて悦けり、其時備中青江と申鍛冶、大仙権現の夢想あり、我剣おば船上山の君に可進事あり、其代に長さ一尺九寸の剣お作て進よ、又我剣に五分まさりたる剣お作て、船上山の君に進よと示現お蒙り、其ごとく作て参て候なりと申、折節剣お求出したりける時分に参合たりければ、不思議の思おなし、青江が作りたる剣お、求出したる剣にくらぶれば少も不違、誠権現の御託宣なりと頼敷思て、衆徒等代の剣おば在所に籠て、求出したる剣と、青江が作りたる剣と二つ持て参たり、是こそよと勅定ある、何なる御告にてや有けん、不思議なりし事どもなり、鍛冶には恩賞お被下けり、
◯按ずるに、富永芳久の寳剣考証に、大仙権現お以て出雲大社の事とすれども、今取らず、