[p.0106][p.0107]
太平記

主上御没落笠置事
去程に類火東西より吹覆て、余烟皇居に懸りければ、主上〈◯後醍醐〉お始進らせて、宮々卿相雲客皆徒跣なる体にて、何くお指ともなく足に任せて落行給ふ、此人々始一二町が程こそ、主上お扶進らせて、前後に御供おも申されたりけれ、雨風烈しく道闇うして、敵の巷声此彼に聞えければ、次第に別々に成て、後には隻藤房季房二人より外は、主上の御手お引進らする人もなし、〈◯中略〉兎角して夜昼三日に、山城多賀郡〈◯郡恐郷誤〉なる有王山の麓まで落させ給ひけり、〈◯中略〉山城国住人深須入道、松井蔵人二人は、此辺の案内者なりければ、山々峯々残る処なく捜ける間、皇居隠なく尋出されさせ給ふ、〈◯中略〉俄の事にて網代の輿だに無りければ、張輿の怪しげなるに扶載進らせて、先南都内山へ入奉る、〈◯中略〉六波羅北方常葉駿河守範貞三千余騎にて路お警固仕て、主上お宇治平等院へなし奉る、其日関東の両大将京に入ずして、直に宇治へ参向て、竜顔に謁し奉り、先三種の神器お(○○○○○○)渡し給ひて、持明院新帝〈◯光厳〉へ進らすべき由お奏聞す、主上藤房お以て仰出されけるは、三種の神器は、古より継体の君、位お天に受させ給ふ時、自ら是お授け奉る者なり、四海に威お振ふ逆臣有て、暫天下お掌に握る者ありといへども、いまだ此三種の重器お自ら擅にして、新帝に渡し奉る例お聞ず、其上内侍所(○○○)おば、笠置本堂に捨置奉りしかば、定て戦場の灰塵にこそ堕させ給ぬらめ、神璽(○○)は山中に迷し時、木の枝に県置しかば、遂にはよも吾国の守と成せ給はぬ事あらじ、寳劔(○○)は武家の輩もし天罰お顧ずして、玉体に近づき奉ることあらば、自ら其刃の上に伏させ給はん為に、暫も御身お放たるヽ事あるまじきなりと仰られければ、東使両人も六波羅も言なくして退出す、翌日竜駕お廻して、六波羅へなし進せんとしけるお、前々臨幸の儀式ならでは、還幸成まじき由お強て仰出されける間、力なく鳳輦お用意し、袞衣お調進しける間、三日迄平等院に御逗留有てぞ、六波羅へは入せ給ひける、日来の行幸に事替て、鳳輦は数万の武士に打囲れ、月卿雲客は怪しげなる籠輿伝馬に扶乗せられて、七条お東へ、河原お上りに、六波羅へと急がせ給へば、見る人涙お流し、聞人心お傷しむ、〈◯中略〉同九日、〈◯元弘元年十月〉三種の神器お持明院新帝御方へ渡さる、堀河大納言具親、日野中納言資名、是お請取て長講堂へ送奉る、