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大日本史
六十八後醍醐
元弘元年冬十月二日甲辰、大仏貞直等、請伝神器于新主、〈◯光厳〉天皇使藤原藤房宣伝曰、〈◯中略〉六日戊申、復請伝神器、乃授以新器、〈◯按、以神器為新物、諸書所不言也、然増鏡雲、帝親奉神器如隠岐、及京師収復車駕還宮、特用藤原道平議、用巡狩還都之儀、拠此則所授是新物、而非真神器明矣、〉
◯按ずるに、大日本史は、増鏡、後醍醐天皇還幸の条に、璽の箱お御身にそへられ雲々とある璽お以て、三種の神器のことヽしたれども、果して三種お並称せしか、将、単に神璽のみお指しヽか明ならず、皇年代略記に、神璽聊有子細と雲ふ文と、増鏡の文とお対照する時は、神璽は天皇御身に添へて隠岐に幸し、偽璽お北朝に授け給ひしやうに聞ゆるのみならず、皇年代略記、後醍醐天皇還幸の条に、源忠顕勅お奉じて、予め賢所お北山第より禁中に奉安せしこと見えたれば、鏡剣は、或は京都に残し置き給ひしが如し、仍て附記して参考に供す、又按ずるに、光厳院御記、元弘元年十月六日の条に、璽筥緘緒少々切雲々、其外無破損之事とあり、皇年代略記、神璽聊有子細と雲へるは、即ち此事にして、偽器たるお疑ひしにはあらざるべし、