[p.0114]
参考太平記
二十五
崇光院受禅事
天正本雲、貞和四年戌子、〈◯中略〉十月二十七日、興仁王〈◯崇光〉南面の位お践せ給ひしかば、即三種の神器お渡されけり、抑此霊寳と申は、神代より伝れる重器に非ず、隻其納物等お是に擬せられて、天子の守に用らる、此内寳劔は、安徳天皇西海の波に没し給ふ時、沈失ける後、昼御座御劔是に準じ用らる、賢所寳璽に於ては、後醍醐院元弘逆乱の始より、玉体に従へて今迄隠し置まし〳〵しかば、真実の霊物は徒に辺鄙の寳とぞ成にける、