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太平記
三十
持明院殿吉野還幸事
二十三日、〈◯正平七年閏二月〉中院中将具忠お勅使にて、都の内裏におはします、三種神器(○○○○)お吉野の主上〈◯後村上〉へ渡し奉る、山門より武家へ御出し有し時、ありもあらぬ物お取替て、持明院殿〈◯光明〉へ渡されたりし物なればとて、璽(○)の御筥おば棄られ、寳劔(○○)と内侍所(○○○)とおば、近習の雲客に下されて、衛府の大刀、装束の鏡にぞ成されける、実も誠の三種神器(○○○○)にてはなけれ共、已に三度大嘗会に逢て、毎日の御神拝、清暑堂の御神楽、二十余年に成ぬれば、神霊もなどか無かるべきに、余に恐なく凡俗の器物に成されぬる事、如何あるべからんと申す族も多かりけり、同廿七日、北畠右衛門督顕能、兵五百余騎お率して、持明院殿へ参り、〈◯中略〉四条大納言隆蔭卿お以て世の静り候はん程は、皇居お南山に移し進らすべしとの、勅諚にて候と奏せられければ、両院、〈◯光厳、光明、〉主上、〈◯崇光〉東宮、〈◯直仁〉あきれさせ給へる計にて、兎角の御言にも及ばず、〈◯中略〉御車お二両差寄、余りに時刻移候と急げば、本院新院主上春宮御同車有て、南の門より出御なる、