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太平記
三十一
南帝八幡御退失事
三月〈◯正平七年〉十五日より軍始りて、已に五十余日に及べば、城中には早兵粮お尽し、援の兵お待方もなし、〈◯中略〉さらば今夜主上〈◯後村上〉お落し進らせよとて、五月十一日の夜半ばかりに、主上おば寮の御馬に乗進らせて、前後に兵共打囲み、大和路へ向て落させ給へば、数万の御敵前お要り、跡に付て討留進らせんとす、〈◯中略〉主上は玉体恙なくして、東条へ落させ給ひにけり、内侍所(○○○)の櫃おば、初給りて持たりける人が、田中に捨たりけるお、伯耆太郎左衛門長生、着たる鎧お脱捨て、自荷担したりける、跡より追敵共蒔捨る様に射ける矢なれば、御櫃の蓋に当る音、板屋お過る村雨の如し、されども身には一筋も立ざりければ、長生兎角かヽぐり付て、賀名生の御所へぞ参りける、多くの矢ども御櫃に当りつれば、内侍所も矢や立せ給ひたるらんと浅猿くて、御櫃お見進らせたれば、矢の痕は十三まで有けるが、才に薄き檜木板お射徹す矢の一筋も無りけるこそ不思議なれ、