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続神皇正統記
後小松
明徳三年、大樹〈◯足利義満〉申沙汰にて、南方〈◯後亀山〉御和睦の事あり、三種神器(○○○○)帰座あるべき御はかりごとにこそ、元暦〈◯後鳥羽〉内侍所西海より渡御の例に任せらる、日野中納言資教卿、大納言に任じて申沙汰し、十月廿五日、陣にて日時お被勘、閏十月二日、南主〈◯後亀山〉夜に入て御入洛、直に嵯峨大覚寺に渡御、併主上行幸之儀にてぞまします、御引直衣、腰輿に駕御、駕輿丁御輿長なども沙汰し献ぜらる、去月廿八日、南山御所お出給ひて、奈良お経まし〳〵て、けふ二日御京着、供奉人大略戎衣鎧直垂なり、関白殿〈◯藤原師嗣〉とかやは御直衣なり、内侍所(○○○)御先行、今日片時の御行粧ながら、当朝両主の御威儀こそめづらかなる御事にて侍れ、同三日陣定にて、同五日三種霊寳(○○○○)内裏土御門に渡御、厳重の御儀式にてぞまします、今度御合体のこと宥申さるヽ旨、御契諾の儀もありけるにや、とまれかくまれ、霊寳御帰座、まことに聖代のしるしもあらはれ、万歳の寳祚は弥御たのもしうぞ侍る、