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続神皇正統記
後花園
嘉吉三年九月廿三日、今夜凶族等内裏へ乱入て、一手は清涼殿にのぼり一手は局町より攻入て放火せしむ、長刀お持たる者、玉体お危奉らむとせしが、目もくらみけるやらん、おどりのきてころびたりしひまのがれ出給ふとかや、密々近衛前殿下の第に行幸、劔璽は凶徒奪とり奉る、内侍所(○○○)御辛櫃は、東門役人佐々木黒田とり出し奉る、これより凶徒は山門に取上て、子細お牒送す、南方の宮お取立申儀也雲雲、〈此宮は万寿寺僧〉東洞院一位入道くみし侍りしぞあさましき、其子右大弁相公は、曾存知せざるよしお陳じ申けれども、つひにうしなはれぬ、山上には衆徒使節等各馳向あひだ、宮以下或は討れ或は自害すとぞ、ふしぎなりし事なり、寳劔(○○)はやがて清水寺の傍に捨置しお、心月坊といふ寺僧ひろひ取りて進けり、恩賞侍るにや、さて去廿三日夜、大神宮櫪御馬、御厩お出て懸まはり、汗お流し鞍おしくあとありて、又御厩に帰入給ふ由、次第奏状到来、凶徒参入の夜の事也、神宮御まほりのほども、いよ〳〵あらたにこそ侍れ、