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晴豊公記
天正十年三月十三日、明後日十五日、内侍所(○○○)御〈◯御下恐脱神字〉楽有之也、万里小路頭弁充房奉行也、諸事役人ふれ共、事届かね可有候間、余中山可申付之由被仰出候由、各召候て申付候、大方相済也、てうしん物御下行也、夕方下御所参、上へ御成候也、御供申也、内侍所かめ勅勘也、その御わび事申余頼也、彼之義夜中申入候也、 十四日、かめ義、上臈御局へ申入候、長橋殿、持明院、伯、余めし、かめ参候ても、鈴被参候事は成間敷候由、五辻長橋被申候、此両人おさへ被申候、しさい有之、鈴まいらせ候事、成まじきとのしさいは、御神楽には、内侍所刀自(○○○○○)も、別而神事お致し、下段へおり不申候由被申候、かめはおやの所にて候、鈴成間敷之由五辻長橋被申、両三人申は、御わび事申入候間、神事かたし候へと申つけ候間、おや所にて神事いたし候、内侍所にて、いたし候はで成候まじきにはかぎるまじく候、内侍関白などは、いづれも宿にて神事の事候間、苦しかるまじきかと申候、とかく別勅にて可然之由申候、別勅にて祗候申候、かめ鈴祝おこさいに相伝一人なり、 十五日、御神楽さだまるなり、〈◯中略〉かめ別勅めし出也、初まり時分雨晴なり、