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資方朝臣記
享保十八年八月廿四日、内侍所(○○○)仮殿渡御也、〈◯中略〉上の北自南方へ霧降下、遷御以後晴、神慮可恐、先年宝永度新造之節雷鳴雲雲、〈◯中略〉御辛櫃(○○○)一合奉載羽車、加輿丁着白丁奉舁之、次唐櫃一合如何、
◯按ずるに、内侍所御辛櫃、中古より二合になりし理由は、南北講和の時に、後亀山天皇より渡し給ひし物と、其前に北主後光厳天皇践祚の時に、佐女牛若宮より遷し給ひし物と、合せて二合となりしに非ざるか、考ふべし、慶応二年の中山忠能記にも、軽き方貴重の御物たる由載せたり、又天保年間、本殿造替立柱の日に地震あり、其夜主任の幕吏頓死す、蓋不浄の土お用いたる神罰なりと、今尚口碑に伝へたり、