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塵袋

一条院の御時、寛弘二年十一月十五日の内裏焼亡に、大刀契多くやけ損じにけり、堀川院の御宇、寛治八年十月廿四日焼亡のとき、霊劔やけ損じて、護身劔は青竜わづかにのこり、朱雀はおばかりのこり、破敵の劔は、五星の中に二星のこる、又王母が兵刃符わづかにのこれり、天徳内裏焼亡にも少々焼損じたりけるお、晴明うけたまはりてみがヽせて修理したりけり、天徳四年十二月十二日、宜陽殿の作物所にて作らしむ、庁町の直廬にてとぎみがく、大臣陣に著雲雲、行事参議朝成朝臣也、権右中弁国光朝臣、左右近衛将監等監臨す、左右の物節各一人守護、鍛冶は内蔵属実行雲雲、又応和元年七月五日、高雄山にて劔お作る、天文博士保憲六月廿八日、於神護寺、三皇五帝の祭おつとむ、剣おつくる祈禱と雲雲、備前国鍛冶日根安生、劔お造り進する由し旧記に見えたり、やけうせたる代りに新造せられけるにや、