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塵袋

大刀櫃、黒漆にして内は朱漆なり、長さ四尺九寸一分、深さ六寸二分、ふたのかはのたかさ一寸二分也、二尺六寸の劔一つ、二尺三寸の劔一つ、七寸の折れ一つお入れたり、契櫃は、うちおほひのふかぶたの朱漆のひつのすみは黒漆にて、内は大地なるが、すみに金銅のひしがな物おうつ、ふたは方一尺三寸九分、みは方一尺二寸九分、深さ一尺一寸也、これには一尺七寸六分の紐一すぢ、長さ四寸五分の契一お入れたり、契の寸法、昔の記録よりは長き事おぼつかなし、これらおば赤地の錦にて包みて、同き錦お二すぢに細くきりてゆひて納む天徳には、はなだ色の袋に、泥にて下絵したりけるにぞ入れたりける、つヽみものヽ沙汰兼日なかりけるにや、其日に臨みてにはかに錦につヽみける也、古き雨布のありけるおば、池の中島にて焼捨にけり、錦たちけるかたなおば、修理職にぞめしたりける、安貞には焼亡はなかりけれども、皆うせたりけるによりてとかく沙汰あり、安貞元年三月十四日、春日行幸の料に、官行事の所より雨布お進ずるに、内侍所の御門守高倉これお見るに櫃の中に物なし、其由お奏すと雲へども、出来せざるほどは櫃ばかりにてありけるお、同二年正月十三日、頭治部卿親長神殿に入て求め出したるお、新しき櫃に納めらる、櫃も損じたれば造りかへられにける也、寛喜二年六月八日、内侍所の刀自三条女が人にかたりけるは、件の日、殿上人五六人内侍所に乱入して、狼藉の事共ありけり、大刀契の櫃のからげおおも解きちらし、ひつも破れにけり、其中にいへのもの一人ありけり、思はずなることに人思へりけり、此の櫃は、中頃鎖もさヽでありければ、かたがたうするもことわり也、平治の乱には、信頼が大刀契の櫃のかぎお腰につけたりけるお、帥中納言こひとりたり、後に成親卿とりて院〈◯後白河〉にまいらせたりける、成親がことにあひけるには、それお奉公だてにして、とがおゆりんと申しけると申也、