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代始和抄
御譲位事
践祚といふ事は、別して非常の時に立王の事、或は上皇の詔命などお以て行事也、嘉承二年堀河天皇崩御の時、鳥羽院の践祚有しは、祖帝白河院の詔命おもて行はれしが如し、又久寿二年後白河院の践祚、寿永二年後鳥羽院の践祚等又これに同じ、其後元弘建武等剣璽なくして践祚あり、皆寿永の例お用ゆ、承久三年後堀河院の践祚は、天下擾乱によりて関東の沙汰として立王法皇の尊号の事ありし、めづらしかりし例也、観応三年後光厳院の御時は、節会の義なく、剣璽なく、上皇の詔命もなし、毎年新義おもて行はれし事ども也、いよ〳〵末代にはさのみあるべき事にこそ覚え侍れ、寿永には、左大臣経宗公次第お作り奉れり、宣命の詞には、太上法皇の詔旨のよしおのす、たヾし宣制の義におよばず、大臣陣にして大外記おめして中務につたへ給べきよしお仰するなり、