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神皇正統記
継体
応神第八の御子隼総別の皇子、その子大跡王、其子私斐王、其子彦主人王、その子男大跡王と申は、此天皇にまします、〈◯中略〉越前国にまし〳〵けり、武烈かくれ給ふて、皇胤たえにしかば、群臣うれへなげきて、国々にめぐり、ちかき皇胤おもとめ奉りけるに、此天皇王者の大度まして、潜竜のいきほひ世々にこえ給ひけるにや、群臣相議てむかへたてまつり、三たびまで謙譲し給ひけれど、終に位に即給ふ、〈◯中略〉即位し給ひしよりまことに賢王にまし〳〵き、応神御子おほくきこえ給ひしに、仁徳賢王にて伝へましヽかど御すえたえにき、隼総別の御末かく世おたもたせ給ふ事、いかなるゆえにかおぼつかなし、〈◯中略〉此天皇のたち給ひし事ぞ思ひのほかなる御運と見え侍る、但皇胤たえぬべかりし時、群臣はからひもとめたてまつりて、賢名によりて天位お伝へ給へり、天照大神の御本意にこそと見えたれ、皇統に其人ましまさん時は、賢儲王おはすともいかでか望みおなし給ふべき、皇胤たえ給はんにとりては、賢にて天日嗣にそなはり給はむ事、則又天のゆるす所なり、此天皇おば我国中興の祖宗とあふぎたてまつるべきものか、
 ◯按ずるに、本書に継体天皇お以て隼総別皇子の裔とせるは誤なり、釈日本紀に、上宮記お引きて其系統お正せり、即ち左の如し、